み言
「生活信仰、生活伝道、生活教育」
P69 1行目〜最後の行まで
ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。私は言葉を一言語るにしても、彼らのことを思う心で語りました。ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。
御飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。ところが、約三カ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、他の人々が座っているのです。座ってみると、私が座る場所もないほど人が集まってしまうのです。私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れてまた訪ねてきます。このようなことが起きました。
それは、嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。人心は天心に通じます。人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。
ですから、言葉をもって伝道するのではありません。愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。
(一九八七・五・一)
■家庭盟誓8節
天一国時代とは、約束が完成する時代を言います。天一国時代を発表し、真の父母を発表したことは、世界史的事件であり、新しい世界を創建することのできる1つの起源になるのです。天の父母様が太初に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の土台の上で、理想的な統一世界を願い、創造しました。私たちもそのような天の父母様の相対圏を探していく為に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。天の父母様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。今では、霊界の解放まで成されました。天の国の春、地上の春が訪れるのです。新しい生命を復活されることのできる春の季節が、地上に訪れるので、地上の時代は平和が訪れてくるようになるのです。アジュ