マタイによる福音書第1章18節
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公になることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるが良い。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その子をイエスと名づけなさい。彼はおのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」すべてこれらのことが起こったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインヌマエルと呼ばれるであろう。」これは「神はわれらと共にいます。」という意味である。ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった。そしてその子をイエスと名づけた。
平和経 復帰摂理史の原理観
イエス様は、母マリヤからも、ザカリヤ、エリザベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探し求め、再び復帰摂理を出発しようとしたのがイエス様の出家でした。家出したイエス様は行くところがありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ8・20)と嘆息されました。親族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を求めて出発したのです。それがイエス様の三年路程でした。