「これ以上、こんなに難しい道を行き続ける力は、私にはありません。この道を歩み続けることは、絶対に不可能です。神よなぜ私に、このような道を行けと言われるのですか?」と問うたことも、数えきれないほどありました。
私に必要だったのは、まさに疲れることのない不屈の信仰と決意と忍耐であり、それが今日の私をつくり上げたと言えるでしょう。
もう一つ言っておきたいことは、皆さんは、天国に行く道において、天国のような面だけを期待してはならないということです。地獄のような面も当然、予期しなければなりません。地獄の底の監獄を通過することも当然、予期しなければならないのです。
そしてそれこそが、神の恵みを感じることができる最も貴い部分であるとも言うことができるのです。それを通過することによって、皆さんはより堅固に立ち、強くなることができ、円満で総合的な人格、神的人格を成熟させることができ、天国をより深く感謝することもできるのです。
そのような体験のすべてが、いつの日か、皆さんの誇りとなることでしょう。勝利と忍耐の記録こそが、いつの日か、皆さんの誇りとなるのです。
1977年5月3日 ベルベディアでのお母様の証
しかし何事が起ころうともオモニム(真のお母様)は、絶えず不屈の信仰で忍耐され、犠牲になりながら沈黙を守り通して、先生への信仰を持ち続けた。そして結局ついには、非難されてきた事情のすべては逆転し、皆オモニムの前に頭をたれて、「この方は本当に天宙のオモニムだ」と思うようになり、そのように敬い対するようになってきたのである。
1977年5月3日 お父様のお母様に対する証
犠牲になりなさい、ために生きなさいという原則、愛の原則を立てておいたのです。そのように生きるようになれば、愛は自然に芽生えるのであり、喜びが自動的に広がります。ですから、「私」を犠牲にしなさいということ、人のために生きなさいということは、宇宙と通じることができ、天の永遠の愛と最も近い距離に立つことができるようにするための一つの主張なのです。
天一国天聖経 第十篇平和思想 第一章平和とは何か
自分のためではなく、他のために生きる人生というのは、犠牲と奉仕を前提にしない限り、考えることすらできません。私は幼い頃から徹底して信仰を育んできましたが、その中で、胸に秘めた夢がありました。それは、人類を救うために歴史を導いて来られた神様の恨を解いてさしあげること、歴史の箍(たが)を解いて自由にしてさしあげることでした。
自叙伝 人類の涙をぬぐう平和の母