全体蕩減
1983年4月3日
ニュー・ソラクホテル
歴史上そういうような立場に立った先生自体は何を考えてきたか。個人蕩減完成。蕩減完成もなしには、個人完成という話はない。サタン世界においては、個人完成ということを成り立たせることはできない。成り立たせた場合には、サタンの世界の終わりだということになってしまう。だから、ここにおいて、それは決算するとか、清算したその内容の観念が必要だというんだ。ここにおいて、完成は蕩減完成というその観念がはっきり植え付けられるんだね。完成は自動完成じゃない。何の完成?蕩減完成。分かりました?だから、堕落世界の人間において人格完成をなすということはあり得ない。 どういうふうにすれば、自己完成がなされるかというと、蕩減完成をなすと言えばなされる。蕩減を入れない者には、絶対、完成の道はない。それは、内から見れば個人完成をいうんだけど、神様から見た場合には、それを復帰というんだね。蕩減完成したその基準を復帰完成というんだね。だから、復帰は蕩減を通してなされる。だから蕩減復帰だよ。そうだろう?蕩減復帰完成をなすことだ。だから蕩減復帰は、もう、これは離すことができない。復帰するには?(蕩減)。蕩減して何するか?(復帰)。
蕩減復帰を嫌がる統一教会のメンバーは、統一教会にいたとしてもサタンの王者である。
サタンは知恵がある。サタンは頭がいいよね。利口だから、先生のやる方法をまねて自分は中心に立つ。そういう者、たくさんいるんだね。自分の欲望を中心としてやる。それは宗教の中で最悪の者だ。その目的は何のため?自分のために。名目は日本とか神とかそういうんだけれど、自分のためである。先生がみんな出発点になっているのに、それを全部さておいて自分のものにする。他人の金を持ってきて自分のものに使うのは泥棒だね。強制的に何の許可も得ずして自分のものだと片っ端から主張するのは強盗である。そういう人を見てみなさい。自分の内部でやられてしまうだろう。これをはっきりさせるんだね。分かりました?蕩減復帰、復帰完成。復帰のための蕩減だ。復帰蕩減。完成を中心として、復帰蕩減して完成する。蕩減されたのちに復帰する。復帰されて、完成の道を行く。同じことだよ。だから蕩減復帰は一つと思えばいい。
年取った者、統一教会にいる古いメンバーは、みんなどうだ。別の主体者をもっていないか、どうだ?先生はいつでも公的に話して、責任者を公的にたたくんだよ。「おい、ああでかい体して、みっともない格好して、何ブラブラしている!」蕩減復帰だ。そういう腹(別の主体性)をもっていたら、引っかかるからね。公的に先生が代表して、世界的に代表して攻撃した場合、絶対服従すれば越える。そうすれば間違いなく出る。 出た場合には、先生は黙って見ている。
先生がけっとばせば最高だよ。大概整理できたね?蕩減復帰。蕩減は何のためだ?完成のためだ。何の完成?自己完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家、世界完成、天宙完成のために。天宙完成は何のため?神の解放だ。神の解放をするためだ。目的は神の解放である。そこまで我々は願っている。分かりましたね。(はい)