蕩減復帰の峠を越えましょう
1995 年 1 月 19 日水沢里中央修練院でのみ言
それで神様は歴史上において、たくさんのアベルを死なせてきました。蕩減復帰は、カインを救うために自分の子供を死なせたのです。その痛みの傷がたくさん詰まっているのです。それで、本心の心情を思い出すたびに、先にアベルを死なせた悲しみの思い出が浮かんでくるというのです。分かりますか? そのようにたくさんのアベルを犠牲にしてきたということを考えれば、自分の直系の子供を愛することも忘れてしまうのです。アベルを死なせながら、反対される立場でも愛することによって、「私もアベルの後を継いで愛します」という、心情転覆運動を先生 の一代でなしてきたのです。理解できますか?
犠牲の多い過去を考える度に、それを見て死んでいったアベルの伝統を前面に立たせて、愛の救済運動をするようになったのです。そういう思いに360度が包容されて、一方通行の救援の道をつくるようになったのですから、地上ではもう、サタンも反対することができないのです。その基盤が立ったので、サタンは自動的に逃げていくようになるのです。サタンもどうにもならないのです。
それで地上に救援摂理を着手したのが、4000年前だったのです。それ以前は、上がったり下がったりしていたのです。 しかし、それを決めた以上は、堕落したという思いが入った場合には、みんな消されてしまうのです。そういうふうにして、何千万年も転覆させてきたのですから、神様の辛さ、神様の悲惨さが人類の根っこになっているのです。それを本当に体恤すれば、痛哭せざるを得ないのです。それで、涙なしに太陽を見るとすれば、太陽に恥ずかしいのです。水も飲むことができないし、空気を吸うこともできないのです。地上を踏むこともできないのです。万物を見るのも恥ずかしいというのです。そういう心情の根底を持って正しい復帰の道を行こうと思う者たちには、自分の姿勢、生活、体質をどのように処していかなければならないかということは、真剣なことです。そんなにもありがたい神様なのです。