説教題:『すべての事について、感謝しよう』
私たちは神様から呼ばれた使命者である。 ⇒ 神様に感謝である。感謝する伝統を立てる。
天一国経典 天聖経
第8篇 信仰生活と修練
第4章 真の父母の人生から見た信仰者の道
第4節 相続の人生 神様の栄光のための人生
13 皆さん自身が神様のみ前に、「私を中心として蕩減をしてください」と言ってこそ、蕩減になるのです。神様に祭物を捧げるときも、神様が「捧げなさい」と言って祭物を捧げることで終わるのではなく、自発的に祭物を捧げることができなければなりません。神様が、「祭物を捧げなさい」と言って捧げるのは、蕩減するための祭物ですが、自分が自発的に捧げる祭物は、栄光を受けることのできる条件になるものです。
14 天の食口がいるならば、彼は世の中で孤立した人でしょう。天の息子、娘がいるならば、彼らは悪の世の中で嫌われる人たちでしょう。
皆さんは、怨讐の国、サタンの都城を壊滅させるための責任者として現れた人たちです。ですから、家庭に入れば家庭の迫害を受けるのであり、社会に出て行けば社会の迫害を受けるでしょう。イエス様がそうであり、神様がそうであり、天のために死んでいった人たちがそうだったので、歴史的な悲しみの峠が私たちの前にもあるのです。その峠を越えてから侍ることができるイエス様です。ですから、イエス様は、そのような立場に立っている人たちと、友となるために訪ねてこられるのです。
15 統一の信徒たちが行く歩みの前に、「少しゆっくり行きなさい」という言葉はあり得ません。早く早く行かなければなりません。凛々しい姿で行かなければなりません。どれほど栄光でしょうか。「そのような立場で天から遣わされて、勝利の足場を立て、神様が永遠に記憶せざるを得ない地域なら地域、世界なら世界をつくらなければなりません。「私」個体だけでなく子孫たちまで、父に「永久に栄光をお受けください」と言うことができる世界をつくらなければなりません。「そのような仕事をするために行く私なので、私の手は私の手ではなく、三千万を身代わりした手であり、世界の人類を身代わりした手です。」そのようなことを感じなければなりません。この手は、父の手として先祖たちが誇り、子孫たちがたたえることのできる手であると実感しなければならないのです。
16 神様が「私」に百を命令したといって、実際に神様が「私」にその百だけを願われるでしょうか。少しでも多く捧げてこそ、「おお、そうか!」と言いながら称賛することでしょう。ここにおいて価値が変わります。神様が命令すれば、皆さんは、皆さんのたった一つの命を捧げることができますか。神様から百という命令を受ければ、皆さんは、それ以上をしてさしあげなければなりません。これが最善の方法です。もし、そのようにしたとすれば、それは個人においては栄光であり、神様が誇ることのできる内容です。「しなさい」と言うとおり百だけすれば、それはほかの人たちでもできるのです。
17 私たち自身は、誇るものがありません。誇るのは、闘って勝利したあとにこそできるのです。そのまま誇れば、サタンが讒訴するようになっています。無形の父の代わりに闘って遺業を相続し、来られる実体の真の父母の代わりに遺業を相続しなければなりません。そして、「父よ、栄光をお受けください」と言わなければならないのです。
18 皆さんは、神様の本然の園を紹介する生活、天の生命と愛と栄光をたたえる生活をしなければなりません。さらには、すべての人たちをして、そのように暮らすようにしなければなりません。すなわち創造主である神様を身代わりして、皆さんが再創造の役事をしなければならないのです。また、地上で生涯を捧げて神様に忠誠を尽くし、被造万物を身代わりして、善の世の中だけではなく悪の世の中でも愛することができる人になって、本然の理想を謳歌(おうか)できなければなりません。そのようにするとき、皆さんは、神様の創造理想を実現する真の息子、娘となり、永遠の神様の愛と栄光の圏内で、神様と永遠に苦楽を共にできるのです。
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